【街歩き】歴史と再開発を感じる港区高台を歩く(田町駅~三田・高輪・白金台~高輪ゲートウェイ駅)

街歩き

こんにちは。東京周辺を趣味でふらふらと散歩をしていますが、数カ月に一度、JR東日本の「駅からハイキング」に参加しています。
このイベントは必ず午前中の決められた時間までに駅から出発し、8〜10kmほどの設定されたコースを歩くものです。コースによっては飲食店などで特典があったりします。参加者は年配の方が多い印象ですが、一人で挑戦する30~40代くらいの男性もよく見かけます。私は運動がてら20代の時からたまに参加することはありましたが、若者はあまり見当たりません(笑)。他に楽しいことがたくさんありますものね・・・
私が「駅からハイキング」をよく利用するのは、コースが決まっておりそのとおりに歩くのが自分でコースを考えて歩くより楽というのと、自分が選ばない道や全く知らない史跡や神社などのスポットに立ち寄るのが新鮮でおもしろいからです。

今日は11月に歩きました田町駅からの駅からハイキング、「まるでタイムスリップ!?〜Go for the future〜」をまとめました。すごいタイトルですが(笑)、田町駅を出発し、三田エリア、高輪エリア、白金台エリアと進み、再び高輪エリアに戻り、高輪ゲートウェイ駅がゴールです。田町駅⇒慶應義塾大学周辺⇒聖坂をまっすぐ⇒東海大学を曲がり天神坂⇒白金台駅周辺の日吉坂⇒八芳園を曲がり桑原坂・桂坂⇒第一京浜⇒高輪ゲートウェイ駅というコースでした。約8kmの高台の坂を巡るコースです。

高級住宅街の落ち着いた雰囲気で、学校が多いのも特徴的でした。ハイキングのタイトルどおり、東京の歴史を感じる場所も多く、それとは対照的に、再開発中の場所もかなりありました。住んでいない限り住宅地はなかなか足を運ばないので、歴史と未来を感じながら興味深く、楽しくウォーキングできました。

今回はたくさんの坂を歩きました。歩いた坂の一覧はこちらです。道が坂の名前になっているなんて風流ですね。

また、住宅街なのでたくさんのマンションも見かけました。気になったかっこいいマンションたちはこちらです。

田町駅~慶應義塾大学周辺

田町駅芝浦口を出て、線路沿いに進みます。線路を越えて左側に見えるのは「カテリーナ三田タワースイート」という高級マンションです。右側は2020年9月に全館オープンしたmsb田町という複合施設です。正面には港区スポーツセンターと愛育病院。ガードをくぐり、三田側に進みます。

カテリーナは2006年築ですが綺麗で立派ですね。線路に近いのが気になります。カテリーナに気を取られ、横にあるコースポイントである本芝公園をスルーしてしまいました。。

日比谷通りを進みます。こちらNEC本社ビルです。ロケット型のビルですが、上まで写っていませんでした・・・。

モニュメントも特徴的

そしてコースポイントとして「薩摩屋敷跡」の石碑があったのですが、見逃しました。植え込みを見ていたつもりなのですが、残念。ここ一帯は島津家の江戸屋敷の一つがおかれていたようです。今回のコースはこのような昔からの由緒あるお屋敷街を多く通ります。

 NEC本社を曲がって進むと三田通りに出ます。目の前には見事な東京タワー

三田一丁目交差点を左に曲がります。「網の手引き坂」を上ります。すごい名前の坂です。

Wikipediaによると、名前のいわれは、

平安時代の勇士源頼光四天王の一人、渡辺綱が幼少の砌に姥に手を引かれて行き来したという伝説による。別名、馬場坂。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%B1%E3%81%AE%E6%89%8B%E5%BC%95%E3%81%8D%E5%9D%82

です。江戸時代くらいではなく源平の時代のエピソード!東京にもそんな昔の名残が坂の名に残っているとは驚き。大変興味深く、自分がいま住んでいる東京について全然知らないことを実感しました。

道の南側は「ザ・レジデンス三田」(マンション)、工事現場(公務員宿舎三田住宅跡地で赤羽小学校の新校舎建設予定)、「THE CONOE三田綱町」(マンション)が並んでいました。見るからに高級そうな新しい建物です。

北側は三田高校、赤羽小学校、三田一丁目計画工事現場(旧東京簡易保険支局跡地、近代建築で素敵な建物だったようです、に大規模マンション建設)となっています。工事現場はかなり広く、簡保の建物は既に解体され、麻布十番の2つのタワマン(シティタワー麻布十番とパークコート麻布十番ザタワー、住友と三井の対象的な外観のマンションです!)がよく見えました。網町という武家屋敷のあった昔ながらの高級なエリアですが、この通りは再開発で工事と新しい建物だらけでした。今時ですね。

綱町三井倶楽部の横を曲がり綱坂を下ります。網坂の由来も「渡辺綱が生まれたとされる」からだそうです。この一帯の綱町は渡辺綱の町という意味なのですね。おもしろいです。

綱町三井倶楽部は会員制倶楽部で、本館はかの有名な英国の建築家ジョサイア・コンドルの設計により建設されたそうです。インターネットで写真を見ると素敵な洋館です。塀で中は木々しか見えません。こちらも一部工事の仮囲いがされていました。工事だらけですね。左側にはイタリア大使館があります。イタリア大使館も石塀と木々しか見えません。落ち着いた高級感のあるエリアでした。

さらに進んでいくと右に慶應義塾中学、左に慶應義塾大学です。三田といえば慶應ですね~。

ここで恐らく曲がる場所を間違え、三田通りまで出てしまったので道を修正。聖坂を進みます。雑居ビルが立ち並ぶ大通りと一本入った住宅街とでは大分雰囲気が異なります。町らしくていいですね。

三田~高輪エリア

聖坂とは港区のホームページによると、

古代中世の通行路で、商人を兼ねた高野山の僧(高野聖)が開き、その宿所もあったためという。

https://www.city.minato.tokyo.jp/kyouikucenter/kodomo/kids/machinami/saka/84.html

そこまで広くない道で、静かです。学校や公園が多くありました。右手には普連土学園、クウェート大使館、都立三田中学校が並びます。港区の学校はみんなおしゃれです、びっくり。

左手は小さなマンションが中心ですが、進んでいくと住友不動産の「三田三・四丁目地区第一種市街地再開発事業」の工事現場の囲いになります。また工事!笑 三田周辺は再開発だらけです。大規模な再開発のようで、3つの街区に複合施設や住宅が建つようです。広場や公園も整備され、緑も豊富のようです。

その横が「亀塚公園」「三田台公園」です。亀塚公園は亀塚史跡が園内にある公園です。遊具もあり、子どもたちが遊んでいました。

三田台公園は亀塚公園のすぐ横にあり、広い芝生のある公園です。緑がきれいで、広々としていました。横にある伊皿子貝塚遺跡より発掘された貝層断面や縄文時代の竪穴式住居などが復元展示されているみたいです。

三田の地名の由来を紹介する看板がありました。かなり古くからの地名のようです。江戸時代は月見の名所。当時はまだ第一京浜の海側は埋立てておらず、高いビルもないので、高台のこの地からは海と月が綺麗に見えたでしょう。

更に進んでいきます。落ち着いた住宅街です。一軒家より小さな集合住宅が多いです。「伊皿子(いさらご)」という地名。すごい名前です。由来は諸説あるようです。伊皿子を境に聖坂は「二本榎通り」に変わります。そのまま進みます。ここから地名が高輪に変わります。

てくてく進み、右手には森に囲まれた高輪皇族邸が見えてきます。現在は上皇夫妻が転居し、『仙洞仮御所(せんとうかりごしょ)』と呼ぶようです。元々は熊本藩の武家屋敷です。その前には「クラッシィハウス高輪」という高級低層マンションがありました。

こちらは高台らしく、坂から泉岳寺方向を見下ろす感じの写真です。いい感じです。

そのまま進むと右手は都営高輪一丁目アパート、左は高輪中学校・高校が出てきました。東海大学前を曲がり、今度は「天神坂」を下ります。

天神坂は小さなマンションが両側に建つ静かな住宅街の通りです。昔、菅原道真公を祀る祠があり、天神坂という名前だそうです。

白金方向に降りていく坂ですが、白金には高い建物がにょきにょき目立ちます。タワーマンションです。途中で坂下に見える緑の建物は「シティタワー高輪」。天神坂を下ると桜田通りに出ます。目の前には「ザパークハウス白金台二丁目タワー」清正公前交差点(戦国武将の加藤清正と縁のある覚林寺の通称が清正公だそうです!)を渡り、シェラトン都ホテルのある目黒通りへ。白金エリアに突入です。

白金台〜再びの高輪

日吉坂を進みます。ゆるやかな坂道です。日吉坂の由来は日吉さんという能役者が住んでいたからだそうです。左手にシェラトン都ホテル東京です。右手はマンションが連なります。進んでいくと緑豊かな八芳園の交差点にあたり、さらにその先が白金台駅です。

目黒通りを渡ってコースポイントである「港区区郷土歴史館」に進みます。少し奥まったところにあります。一帯は図書館や保育サポート、カフェなどの複合施設になっており、「ゆかしの杜」と言うそうです。

港区郷土歴史館はその名の通り、港区の歴史を学べる博物館です。この日は閉館日で中の見学はできませんでしたが、駅からハイキング特典のポストカードをいただきました。

建物はどこかで見たような重厚な美しい外観です。元々は旧公衆衛生院で、昭和13年に竣工された歴史ある建物です。設計は、旧東京帝国大学(現在の東京大学)の内田氏によるものだそうです。東大の安田講堂などを手掛けた有名な建築家です。

八芳園まで戻り、桑原坂明治学院大学方向に進みます。港区立白金小学校があるなど、閑静な住宅街です。ずっと見えている高い建物は「ザレジデンス高輪」(マンション)です。

明治学院大学まで坂を下り、桜田通りに再び出ました。

明治学院大学はチャペルなど歴史的建造物がいくつかあり、こちらに見えている建物も東京都の「特に景観上重要な歴史的建造物等」に指定されている「明治学院記念館」です。こんなにレトロな建物がある大学とは知らなかったです。おしゃれですね~

明治学院大学の交差点の歩道橋で渡り、高輪ゲートウェイ駅を目指し、桜田通りを越えます。桜田通りの左には明治学院大学の建物と緑色の「シティタワー高輪」がまたまた見えます。右はオフィスビルやマンションが立ち並んでいて、背が高い建物は「プラウドタワー白金台」です。前にも「ザレジデンス高輪」があり、背の高いマンションが目立ちます。やはり大通りは高台の坂の通りの住宅街とは違い、大きな建物が多いです。

ザレジデンス高輪(高級スーパーのリンコスがありました!)を越えて進みます。

不思議な塔のような形の建物が見えてきます。高輪消防署二本榎出張所です。上は火の見櫓になっていて青いタワーが目立ちます。東京都選定歴史的建造物です。

消防署だけではなく、向かいには高輪警察署があり、すごく治安は良さそうです。横切る通りは高輪皇族邸のあった二本榎通りで、ぐるっと回ってまた戻ってきました。天神坂を下らずにそのまま進んでいたらこの消防署に突き当たっていたようです。
白金や高輪はタワマンなど現在の新しい建物の中に、郷土歴史館や高輪消防署のように近代的な建造物がふと出てくるのが興味深いです。古い謂れの地名が多いですが、近代の歴史も感じます。

交差点を渡ってからは桂坂になります。名前の割に由来はいまいちでした・・・。

むかし蔦葛(つたかずら・桂は当て字)がはびこっていた。かつらをかぶった僧が品川からの帰途急死したからともいう。

港区ホームページ https://www.city.minato.tokyo.jp/kyouikucenter/kodomo/kids/machinami/saka/71.html

ここもまた閑静な住宅街で高野山東京別院もありました。こちらの「高輪館」は旧「東芝山口記念館」で、三井財閥の朝吹常吉氏の邸宅だった洋館です。現在は日本テレビが所有しているようです。

第一京浜〜高輪ゲートウェイ駅

第一京浜まで進み、品川のドコモビルが見えてきました。住宅街を抜け、いよいよ高輪ゲートウェイ駅まできました。駅周辺の工事のため、白い柵が広い範囲に渡って続いています。

突き当りを曲がって第一京浜を歩きます。コースポイントの高輪神社を訪問します。

まさに都会の中の神社で四方をビルに囲まれていて、神社の空間だけぽっかりと空いています。最初見落として行き過ぎてしまいました。歴史は古く、室町中期に建てられた神社です。周囲は大きく変わっていますが、ずっとこの場所に鎮座しています。東京は不思議ですね。

戻って第一京浜をまっすぐ進み、コースポイントの高輪大木戸跡を目指します。歩いていて驚いたのが、泉岳寺駅周辺の第一京浜の線路側の道沿いのオフィスビルやマンションが閉鎖されていたことです。高輪ゲートウェイ駅前に4つの街区が作られる品川開発プロジェクトの関係だと思われます。

高輪大木戸跡です。東海道方面の江戸の入口、玄関口でした。今は石垣が少し残っています。

高輪の大木戸は、江戸の治安維持のため、宝永7年(1710)に東海道の両側に石垣を築き、設置されました。各町にある「町木戸」に対し、江戸全体を守る木戸であることから、「大木戸」と呼ばれ、旅人やその送迎客でにぎわいました。

港区ゆかりの人物データサイトhttps://www.lib.city.minato.tokyo.jp/yukari/j/ukiyoe-detail.cgi?id=18

物議を醸したゲートウェイという駅の由来の一つはこの大木戸の江戸の玄関口というところにあるそうです。

浮世絵や錦絵を見ると、江戸時代はこの高輪大木戸のすぐ横は海でした。旧東海道が今の第一京浜なので、それより海側は埋立地です。少し前に高輪ゲートウェイ駅周辺の工事現場から築堤が発見されたことが話題になりました。

ニュースはこちら↓
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210108/amp/k10012803601000.html
新橋〜横浜に鉄道が走り始めた頃、品川付近はまだ埋め立て地がなく海で、内陸に用地を確保できなかったため、線路を築堤を築いて敷き、汽車は海の上を走っていたそうです。その築堤が見つかったとのことでした。
高輪ゲートウェイ駅はその後、大正時代に鉄道車両基地として埋め立てられた土地に作られました。ここにも江戸から近代の歴史があって面白いです。

最後に高輪ゲートウェイ駅に向かってゴールです。工事現場の仮囲いをぐるっと回ります。

駅に上がって下を見下ろすと再開発の工事現場が見えます。以前「Takanawa Gateway Fest」のご紹介をしましたが、今はテントの跡形もなく敷地では再開発に向けた大規模な工事が行われていました。

Takanawa Gateway Festについてはこちら↓

駅のスタバに入り、ゴールしました。お疲れさまでした!今回は途中でほとんどお店にも立ち寄らずで2時間半くらいのウォーキングでした。

まとめ

今回は歴史情緒あふれたウォーキングとなりました。田町駅からスタートし、三田エリア、高輪エリア、白金台エリアという高級住宅街を歩きました。閑静なエリアで学校も数多くありました。一つ一つ昔からの名のついた坂のある、お屋敷街だった高台で、近代的な建物もあります。
意外だったのは豪邸が立ち並んでいるわけではなく、小規模のマンションが多く、そしてタワマンがあったり再開発が進んでいることです。昔ながらの地に新しいものが融合しています。東京はどこもそうなのかもしれません。

住むためのエリアなので、大通り沿い以外は駅から少し遠かったり、坂があったり、スーパーやコンビニをあまり見かけませんでした。お金があってゆったり住むのにはいいところでしょう。個人的にはもう少し近くに繁華街がほしいです(笑)。大通りだけではなく、小道がたくさんあるような町で歴史を感じる楽しい散策となりました。

最後の第一京浜と高輪ゲートウェイ駅はまさに再開発のど真ん中ですが、旧東海道の歴史も感じられます。まさに古いものと新しいものの融合を感じるコースでした。隅田川の下町リバーサイドウォークのときもそうでしたが、街の歴史にふれるのもお散歩の魅力の一つです。

隅田川下町リバーサイドウォークはこちら↓

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